東京高等裁判所 平成元年(行ケ)196号 判決 1993年4月28日
イギリス国
イーシー3アール 6ディーキュー、ロンドン、ローアテムズ ストリート、シュガーキー
原告
テイト アンド ライル パブリック リミテッド コンパニー
代表者
デレク ウィリアム フユーキス
訴訟代理人弁理士
浅村皓
同
小池恒明
同
木川幸治
同
歌門章二
同
岩井秀生
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官 麻生渡
指定代理人
田中久直
同
土屋喜郎
同
田中靖紘
同
涌井幸一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、昭和63年審判第11422号事件について、平成元年4月13日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、1979年11月7日にイギリス国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和55年11月7日、名称を「蔗糖の代用品」とする発明(後に「歯苔生成の減少方法」と補正、以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(昭和55年特許願第156785号)が、昭和63年2月22日に拒絶査定を受けたので、同年6月27日、これに対する不服の審判を請求した。
特許庁は、これを同年審判第11422号事件として審理したうえ、平成元年4月13日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年5月24日原告に送達された。
2 本願発明の要旨
ヒト又は動物の消費する非アルコール性、蔗糖含有製品と併用して、Streptococcus mutansに帰因する口腔内の歯苔生成を減少する方法において、この製品中の少なくとも一部の庶糖をイソマルチュロースで置き換えることを特徴とする、上記方法。
3 審決の理由
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願出願(優先権主張日)前に頒布された刊行物である「SUPPLE-MENTA ZUBZEITSCHgIFTF FUR ER-NAHRUNGSWISSENSCHAFT」16~27頁(以下「引用例」という。)を引用し、本願発明は、引用例に記載された発明に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない、と判断した。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の本願発明の要旨、引用例の記載事項及び開示事項(別添審決書写し2頁2行~4頁17行)、両者の相違点<1><2>(同5頁1行~5行)の各認定は認める。
しかし、審決は、引用例には「イソマルチュロースを蔗糖の代替品とする基本技術」は開示されていないのに、これが開示されているとして、この点で本願発明と引用例に開示された事項とは相一致していると誤った判断をし(取消事由1)、相違点<1><2>についての各判断を誤った(取消事由2、3)ものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 取消事由1
審決は、「本願発明と引用例に開示された事項とを対比すると、両者は、イソマルチュロースを庶糖の代替品とする基本技術で相一致している」と認定しているが、誤りである。
引用例の記載から、イソマルチュロースが甘味物質であり、酸形成に関して実施されたin vitroの試験により蔗糖代替品としての適性が認められるとしても、それだけでは、「イソマルチュロースを蔗糖の代替品とする」ことが直ちに可能ということはできない。
第1に、そういうためには、イソマルチュロースが甘味物質として、食品についての一般的な適性、すなわち、充分な甘味を有すること、安全であること、安価であること、熱に安定で調理可能であることの条件を満たすことが必要であるが、引用例には、この点についての開示は全くない。本願明細書に記載されているとおり、本願出願当時、イソマルチュロースそのものが蔗糖の代替品となりうることは、全く知られていなかったのである。
第2に、引用例に示されたStreptococcusmutans(以下「S.ミュータンス」という。)という細菌はイソマルチュロースから酸を形成することが少ないという事実は、イソマルチュロースがS.ミュータンスによって分解、利用できない物質であることを示すが、このことは、「一般に細菌にとって利用できないものはほとんど人体にとっても非生理的なもの、場合によっては有毒なものであり、食品として利用するのが困難なことが多い。」という当業者の常識に照らせば、イソマルチュロースを食品として利用するのが困難であることを示しているからである。
第3に、引用例自体も、その要約第6項に「イソマルチットおよびイソマルツロースの可能な砂糖代替品としてのはっきりとした評価については、幅広い基礎に基づく研究と、色々ちがった広い専門分野からの今後の研究が必要である。」と述べているからである。
したがって、引用例には、イソマルチュロースを蔗糖の代替品とする基本技術は開示されておらず、この点で、本願発明と一致するとした審決の認定は誤りである。
2 取消事由2
審決は、相違点<1>について、「Streptococ-cus mutansに帰因する口腔内の歯苔生成を減少するということも酸形成を少なくすることも虫歯生成の防止に有効であること、並びに口腔内の歯苔生成と酸形成に因果関係があることが、ともに、周知のことである」という理由から、「上記<1>の相違点に格別の困難性を見い出すことはできない」と判断しているが、誤りである。
審決が理由として挙げた上記二つの事項が周知であることは認めるが、このことから、直ちに審決のいう結論を導くことはできない。
審決のいう二つの周知事項の内容は、「S.ミュータンスに帰因する口腔内の歯苔生成の主原因は、そのS.ミュータンスが蔗糖から粘着性の強い不溶性グルカンを合成することによるものであり、歯苔は、いわばS.ミュータンスのすみかであり、そして、S.ミュータンスが、蔗糖を含む他の種々の糖を利用して、代謝産物として酸を産生することが、酸形成である。したがって、S.ミュータンスが糖から酸形成を行うことだけでは、虫歯の原因にはならないのであって、S.ミュータンスが歯苔の中に保持されて、継続的に歯に作用する酸形成を行うことによって、初めて虫歯の原因になる」ということである。
この周知事項からすれば、イソマルチュロースが虫歯生成の防止に有効であることをいうためには、イソマルチュロースが酸形成を少なくすることと並んで、歯苔を形成しないことが認定されなければならないことは、明らかである。
ところが、審決は、イソマルチュロースが歯苔を形成しないことを何ら認定することなく、酸形成を少なくするという引用例の記載と上記周知事項とから、その結論を導いているのであって、論理の飛躍があり、審決の判断は誤りである。
3 取消事由3
審決は、相違点<2>について、「蔗糖の代替品を、蔗糖の普通の使用形態である非アルコール性、庶糖含有製品の中で、少なくとも一部の蔗糖と置き換えてみることは、格別発明力を要するものであるとはいえない」と判断しているが、誤りである。
第1に、審決は、蔗糖の一部をイソマルチュロースと置き換えた場合、イソマルチュロースには蔗糖からの不溶性グルカンの合成を阻害するという作用効果があるにもかかわらず、取消事由2において述べたとおり、この点についての判断を遺脱した結果、格別の発明力を要するものではないとの誤った判断をしたものである。
被告は、この点につき、蔗糖の全部をイソマルチュロースで置き換えた場合、この作用効果はないと主張するが、誤りである。本願発明の要旨で規定されているイソマルチュロースは、本願明細書に記載されているように、100%純度のものに限られず、他の糖及び付随の物質を10%~20%あるいはそれ以上含んでいるものでもよいから、全部置換の場合でも不溶性グルカンの生成はありうる。また、口腔内は常に蔗糖にさらされているから、この点からも、不溶性グルカンが生成されるのである。
第2に、審決のようにいうためには、イソマルチュロースが食品として蔗糖と同様の能力を有することが知られていなければならないところ、引用例には、この点についての開示が全くない。
本願の優先権主張日当時、イソマルチュロースは、水素添加により処理された低カロリー甘味料が唯一実用的な用途として知られていたにすぎず、ビール又は葡萄酒の生産の分野における利用も、全く異なる化合物に変えられて使用されていたにすぎない。
本願発明は、食品の成分として使用される蔗糖代用品に関するものである(甲第2号証明細書3頁19行~4頁61行)から、可能な限り、蔗糖に近い能力を有するものでなくてはならない。すなわち、「食品及び食品関連工業で必要なことは、人間又は動物の消費用製品に対し、官能的に、組織的に又は他の特性で、蔗糖の能力を持つ物をつくることである。例えばそのような特性は、風味、口感、テクスチャー、ボデイ及び他の直接感ずる感覚的効果と同様に保存作用、組織の形成のような補助的特性も含む。我々の蔗糖代用品で、同等とするか部分的に改善しようとしているのは、此等の蔗糖と同様な特性である。我々は“成分”と云う用語を、人間又は動物の消費用食品及び他の製品の成分として使用する蔗糖の代用品を示すものとして使用する」(同4頁7~18行)。
これが、食品中で使用される場合に必要とされる能力であるが、本願明細書に記載されているとおり、従前開発されたサッカリン、チクレメートは発がん性に問題があり、また、その他の甘味料はバルク形成促進剤及び他の添加物を配合したとしても蔗糖の完全な代用品にならないのに対し、イソマルチュロースは、そのような添加物を配合することなく、そのままの状態で蔗糖とほぼ同様な能力を有すること、すなわち、「直接使用し得る特性」が発見されたのである。
本願の優先権主張日後に公刊された浜田茂幸編著「歯の健康と食生活」(甲第9号証の1~11)に、「パラチノース」すなわちイソマルチュロースについて、「結晶パラチノースは湿気を吸わず、熱やpHの変化に、スクロース同様、きわめて安定である。この性質はパラチノースがスクロースに代わる食品の素材として利用できることを示唆している。また、パラチノースを大量、長期間にわたって実験動物に与えても、下痢のような副作用も認められず、また、病理学的な検査の結果でも不都合な所見は認められていない。このような点では、糖アルコール類にないすぐれたものである。」(同号証の11、94頁22行~95頁本文1行)と記載されているように、このような性質が知られていなければ、食品への適格能力があるとはいえない。
また、本願発明は、加熱処理する食品を除外していないから、加熱された場合のイソマルチュロースの物性についても検討されなければならないが、本願明細書には、この点についても明らかにしている。
以上のとおり、本願の優先権主張日当時、水素添加により処理されていないイソマルチュロースを醗酵及び化学以外の食品の分野に用いること、まして、イソマルチュロースが、バルク形成促進剤及び他の添加物を配合することなく、「ヒト又は動物の消費する非アルコール性、蔗糖含有製品」中の蔗糖と共に、もしくはそれに代えて「直接使用し得る特性」を有することは、全く知られていなかったのである。したがって、審決が、虫歯生成に関する酸形成について開示しているにすぎない引用例だけをもって、相違点<2>につき、「格別発明力を要するものであるとはいえない」と判断したことが誤りであることは、明白である。
第4 被告の反論の要点
審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由は、いずれも理由がない。
1 取消事由1について
本願発明が、イソマルチュロースを蔗糖の代替品とすることを基本技術としていることは明らかである。一方、引用例は、虫歯予防の観点から、蔗糖をその代替物によって置き換えるという課題解決のための研究報告であって、審決の認定している記載から明らかなとおり、イソマルチュロースが蔗糖の代替品としての適性を有するとの結論を示しているのである。したがって、審決の一致点の認定に誤りはない。
イソマルチュロースが甘味を有する物質であって、本願明細書にも記載されているとおり、ダイエット甘味料の原料としての利用、ビール、葡萄酒等のアルコール飲料への利用がすでに知られていた(甲第2号証明細書10頁13~14行、17頁10~17行)のであり、本願発明も引用例もイソマルチュロースが安全であることを前提としている。また、安価で加熱調理できることについては、本願発明の「製品」は安価で調理可能な食品に限定されていないから、これを問題とすることはできないうえ、このことが蔗糖の代替品となることの必須の要件ということもできない。
原告が引用する引用例の要約第6項の記載は、「はっきりとした評価」について述べたものであり、これによって、要約第5項のイソマルチュロースの「砂糖代替品としての適性は認められる」との評価が否定されるものではない。
原告主張の審決取消事由1は、理由がない。
2 同2について
引用例において酸を形成しないといわれる場合の「酸」は、糖を原料として微生物の働きにより酸醗酵を経て作られる酸のことであるから、S.ミュータンスが糖であるイソマルチュロースから酸を産生しないということは、S.ミュータンスがその糖を酸醗酵の原料とすることができないこと、すなわち、S.ミュータンスがイソマルチュロースをその構成単糖類であるグルコースとフラクトースに分解し利用することができないことを意味する。一方、歯苔とは、不溶性グルカンが歯に付着したものであり、不溶性グルカンはグルコースの重合体であって、糖が微生物によって分解され、生じたグルコースが結合して重合体となったものであるから、S.ミュータンスがイソマルチュロースを分解しない以上、不溶性グルカンの合成もなく、歯苔は生成されない。また、引用例には、イソマルチュロースが虫歯の主な原因として重要である歯苔(歯垢、プラーク)を生成しないということが、酸形成との関連で示されている。
したがって、審決の判断に誤りはない。
3 同3について
本願発明は、蔗糖の全部をイソマルチュロースで置き換える場合を包含する。この場合、蔗糖は存在しないのであるから、イソマルチュロースが蔗糖からの不溶性グルカンの合成を阻害するという作用効果を奏するはずはない。本願発明は、このような態様を含むものであるから、この作用効果につき言及せずに、相違点<2>につき判断したことに、判断の遺脱はない。なお、本願発明が純度100%のイソマルチュロースの使用を除外するものでないことは明らかであり、また、食事と食事の間では口腔内に糖類が存在していないことは、本願明細書にも記載されているところである(甲第4号証補正の内容7頁)。
また、蔗糖を他の原料と共に配合して食品その他の製品を製造することは、ごく普通に行われていることであるから、「非アルコール性、蔗糖含有製品」中の蔗糖をイソマルチュロースで置き換えることは、当業者が容易に実施できることである。
原告主張の取消事由3も理由がない。
第5 証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立については、いずれも争いがない。)。
第6 当裁判所の判断
1 取消事由1について
甲第6号証によれば、引用例は、その記載内容、特にその「ムシ歯に対する蔗糖の、まさに、特別な重要性が、判明するようになってからは、目的とするムシ歯予防の範囲内で、いかにして特定の栄養品とりわけ、甘味品の中の蔗糖を、限られた範囲内で、所謂砂糖の代替物によって、一部代替出来るか、その手段と方法を求め特に努力がなされている。」(17頁19行~24行、訳文3頁11行~15行)、「本研究は同じ、この複雑な問題に対して、寄与をすることを望んだ。カリエス病因学上重要な連鎖球菌は、他のエネルギー源と比べてイソマルチット及びイソマルツロースから酸を作ることができるかどうかおよびその程度はどの位かを、優先的にしらべなければならなかった。これらの物質の性質に基いて、前記両物質は、砂糖の代替物として、議論されるべきであった。」(17頁31行~36行、訳文4頁7行~12行)との記載から明らかなように、虫歯予防の観点から蔗糖をその代替品によって置き換えるという課題解決のために、イソマルチット及びイソマルチュロースが蔗糖の代替品としての適性を有するかどうかを、この両物質のS.ミュータンスによる酸形成について実験した研究報告であることが明らかである。
そして、引用例は、その研究の結果として、審決も認定しているとおり、「ここに示したin vitroの試験で得られたデータに関するかぎりでは、イソマルチット及びイソマルチュロースは蔗糖代替品としては、例えばソルビット(15)よりもより好ましいと判断される。」、「酸形成に関して実施されたこのin vitro試験によると、ソルビットと比較して、これら両方の物質の蔗糖代替品としての適性は認められる。」との結論を示しているのである。
この引用例の開示する内容と本願発明とを対比すると、本願発明は、前示本願発明の要旨の示すとおり、「ヒト又は動物の消費する非アルコール性、蔗糖含有製品・・・中の少なくとも一部の蔗糖をイソマルチュロースで置き換える・・・方法」であって、イソマルチュロースが蔗糖の代替品としての適性を有することを前提としていることが明らかであるから、この前提事実において、引用例と異なるところはない。審決がいう「基本技術」が、この前提事実を指していることは、審決の文脈から明らかというべきであり、したがって、本願発明と引用例に開示された事項が「イソマルチュロースを蔗糖の代替品とする基本技術」において一致しているとした審決の認定に誤りはない。
原告が主張する食品への利用可能性の有無及び引用例の「砂糖代替品としてのはっきりとした評価」は、この基本技術のうえに立って、食品その他の蔗糖含有製品への適用を検討するという、いわば応用技術の問題というべきであるから、この点についての開示が引用例にないとしても、上記審決の一致点の認定を誤りとすることはできない。
原告の取消事由1の主張は、理由がない。
2 同2について
S.ミュータンスに帰因する口腔内の歯苔生成の主原因は、S.ミュータンスが蔗糖から粘着性の強い不溶性グルカンを合成することであり、虫歯の主病因が、この不溶性グルカンが歯に付着して生成された歯苔の中にS.ミュータンスが保持されて、継続的に歯に作用する酸形成を行うことにあることは、本願の優先権主張日当時すでに周知の事項であったことは、当事者間に争いがない。
そして、甲第6号証によれば、引用例は、この周知の虫歯生成のメカニズムを認識したうえで(同号証17頁7~15行、平成4年7月7日付け訳文訂正申立書2頁8行~3頁2行)、虫歯予防の観点から蔗糖をその代替品によって置き換えるという課題解決のために、イソマルチット及びイソマルチュロースが蔗糖の代替品としての適性を有するかどうかを、この両物質のS.ミュータンスによる酸形成について実験した研究報告であることは、前示のとおりであるが、引用例には、同時に、歯苔生成の原因であるS.ミュータンスによる不溶性グルカンの合成についても付随的に実験し、その実験結果として、S.ミュータンスがイソマルチット及びイソマルチュロースから不溶性グルカンを合成する挙動を全く示さなかった旨の報告が記載されている(同24頁本文16~23行、原告第4回準備書面3頁9行~4頁4行の訂正訳文)ことが認められる。
以上の事実に照らせば、当業者が、引用例の記載と上記周知事項から、S.ミュータンスに帰因する口腔内の歯苔生成を減少するために、「ヒト又は動物の消費する非アルコール性、蔗糖含有製品・・・中の少なくとも一部の蔗糖をイソマルチュロースで置き換えること」に想到することは容易であると認められる。
したがって、審決が、相違点<1>につき、「格別の困難性を見い出すことはできない」と判断したことは、引用例におけるS.ミュータンスがイソマルチュロースから不溶性グルカンを合成しないという実験結果につき言及しなかった点に、原告主張の論理の飛躍があるにしても、結論において是認することができ、これをもって、審決を取り消す事由とすることはできないといわなければならない。
原告の取消事由2の主張は、採用できない。
3 同3について
上記のとおり、当業者が、引用例の記載と周知の虫歯生成のメカニズムから、S.ミュータンスに帰因する口腔内の歯苔生成を減少するために、「ヒト又は動物の消費する非アルコール性、蔗糖含有製品・・・中の少なくとも一部の蔗糖をイソマルチュロースで置き換えること」に想到することは容易であると認められるのであるから、この点に関する原告主張の作用効果は特段のものということはできない。したがって、審決がこの作用効果につき言及しなかったからといって、相違点<2>についての判断に影響を及ぼす作用効果の看過ということはできない。
原告は、審決のようにいうためには、イソマルチュロースが食品として蔗糖と同様の能力を有することが知られていなければならないと主張するが、乙第1号証、同第2号証の1ないし3によれば、本願の優先権主張日前すでに、各種の甘味物質につき、その蔗糖代用性が検討され、この蔗糖代用性の検討のためには、安全性を始めとする食品としての適性につき動物実験、病理学的検査その他必要な試験を行うことが当然のこととされていることが認められる。
したがって、引用例において、虫歯予防の観点から、イソマルチュロースが蔗糖代替品としての適性があることが開示されている以上、この開示に基づいて、イソマルチュロースが蔗糖代替品として食品に使用可能な物質であるかどうかを、必要な種々の方法により試験し、その結果を得て、この試験結果から、イソマルチュロースが「ヒト又は動物の消費する非アルコール性、蔗糖含有製品・・・中の少なくとも一部の蔗糖」と置き換えることが可能かどうかを検証する程度のことは、当業者として当然になすべき事柄であり、これをなすことに格別の困難性があるとは認められない。
事実、甲第2ないし第5号証により認められる本願明細書の実施例の記載を見ても、トーフィーハンバグ(例1)、ショートケーキビスケット(例2)、マーチパン(例3)、トーフィ(例4)、メラング(例5)、バニラプディング(例6)、スポンジケーキ(例7)、パン製品のためのトッピング、フィリング(例8)、フレンチヌガー(例9)、缶詰のフルーツ(例10)、すももジャム(例11)、ねり歯磨き(例12)、チューインガム(例13)、レモネード(例14)、その他アイスクリーム等を製造する際、蔗糖の全部又は一部をイソマルチュロースで置き換えてみた結果、「全体として結論は、イソマルチュロースが蔗糖の代用品として最も満足すべき反応を示した事であつた」ことが示されているにすぎず、これをするに格別の困難性があるとは到底認められないのである。
したがって、審決が、相違点<2>につき、「少なくとも一部の蔗糖と置き換えてみることは、格別発明力を要するものであるとはいえない」と判断したことは、相当である。
原告主張の取消事由3は理由がない。
4 以上のとおり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担、上告のための附加期間の付与につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 三代川俊一郎)
昭和63年審判第11422号
審決
イギリス国イーシー3アール 6ディーキュー、ロンドン、ローアテムズ ストリート、ジュガー キー(番地なし)
請求人 テイトアンド ライル パブリック リミテッドコンバニー
東京都千代田区大手町2-2-1 新大手町ビル331~340
代理人弁理士 浅村皓
東京都千代田区大手町2-2-1 新大手町ビル331~340
代理人弁理士 浅村肇
東京都千代田区大手町2-2-1 新大手町ビル331~340号浅村特許事務所
代理人弁理士 西立人
昭和55年特許願第156785号「歯苔生成の減少方法」拒絶査定に対する審判事件(昭和56年7月27日出願公開、特開昭56-92757)について、次のとおり審決する。
結論
本件審判の請求は、成り立たない。
理由
本願は、昭和55年11月7日(優先権主張1979年11月7日、イギリス国)の出願であって、その発明の要旨は、補正された明細書の記載からみて、その特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める。
「ヒト又は動物の消費する非アルコール性、蔗糖含有製品と併用して、Streptococcus mutansに帰因する口腔内の歯苔生成を減少する方法において、この製品中の少なくとも一部の蔗糖をイソマルチュロースで置き換えることを特徴とする、上記方法。」
これに対して原査定の拒絶理由に引用され、本願出願前に頒布された刊行物である、「SUPPLEMENTA ZUR ZEITSCHRIFT FUR ERNAHRUNGSWISSENSCHAFT」(国立国会図書館昭和48年10月10日受入)第16ないし27頁(以下、引用例という)には、
「特にイソマルチット及びイソマルチュロースを考えて糖類及び糖アルコールから虫歯の病因として重要な連鎖球菌の酸形成について」という表題で、
「第2図は、色々なエネルギー源の1%添加をした計画通りの基本培地中での2日間培養後の最終pH値測定を示している。……〔中略〕……
イソマルチット及びイソマルチュロースの対応する測定値はpH=5.5と6.0との間になった。こうして、これ等両方の化合物からの、明白な低い酸形成が、記録されることになった。
水平の点線は、pH=5.5の値を示すもので、この値はエナメル質の脱石灰が始まる重要なpH領域と一般に考えられている。……〔中略〕……
虫歯を起こす菌株S-227〔第3図〕は、蔗糖を使った基本培地中では、予想通りの、迅速で最強のpH低下を示した。形成された酸性の代謝生成物の強さに関しては、長い遅延段階をともなっているソルビットが、蔗糖の次である。しかるにイソマルチットとイソマルチュロースとは、基準と比べて、実際上認められる程のpH変動を与えない。」
(第20頁第6ないし27行)、
「ここに示したinvitroの試験で得られたデータに関するかぎりでは、イソマルチット及びイソマルチュロースは蔗糖代替品としては、例えばソルビット(15)よりもより好ましいと判断される。」
(第26頁第20ないし22行)、並びに
「酸形成に関して実施されたこのInvitro試験によると、ソルピットと比較して、これら両方の物質の蔗糖代替品としての適性は認められる。」
(第26頁下から6ないし4行)
ことがそれぞれ記載されている。引用例のこれらの記載内容を総合すると、引用例には、イソマルチュロースでは、虫歯形成関連微生物による酸形成が少なく、虫歯生成の一因であるエナメル質の脱石灰がはじまるpH以下にはならず、イソマルチュロースは、蔗糖代替品としての適性があることが開示されていると認められる。
そこで、本願発明と引用例に開示された事項とを対比すると、両者は、イソマルチュロースを蔗糖の代替品とする基本技術で相一致しているが、<1>Streptococcus mutansに帰因する口腔内の歯苔生成を減少するためであるか酸形成を少なくするためであるかの点、並びに<2>非アルコール性、蔗糖含有製品中の蔗糖と置き換えるかどうかの点で相違している。
しかし<1>について、Streptococcus mutansに帰因する口腔内の歯苔生成を減少するということも酸形成を少なくすることも虫歯生成の防止に有効であること、並びに口腔内の歯苔生成と酸形成に因果関係がことが、ともに、周知のことであるので、上記<1>の相違点に格別の困難性を見い出すことはできない。
そして<2>について、蔗糖の代替品を、蔗糖の普通の使用態様である非アルコール性、蔗糖含有製品の中で、少なくとも一部の蔗糖と置き換えてみることは、格別発明力を要するものであるとはいえない。
また上記相違点<1>、<2>を総合勘案しても、本願発明の効果は、引用例に記載された事項から予測されるところを超えて優れているとはいえない。
したがって本願発明は、引用例に記載された発明に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。
よって、結論のとおり審決する。
平成1年4月13日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
請求人 被請求人 のため出訴期間として90日を附加する.